鍵は、必ず、どこかにある。ヒラメキだっす!

常々思う。どーして人々は生まれてくる前のこと、死んだ後の世界のことに興味を持たないのだろうか。そんなものあるかーと突っぱねる人は、いわゆる唯物的な考え方をする人だ。わりと知識人、頭のいい人に多かった。まぁ、このての人には何を言っても受けつけることさえしないから、オレは話し始めてそう感じたらすぐ話題を変えるようにしてきた。彼らに質問すると、死ぬだけ、としか返ってこない。死んだこともないくせして、よく言うよ。ところでこの私は手掛かりになるような本を洋の東西を問わず探しだしては読んだ。いわゆる霊界通信なるものだ。疑問は疑問としてしっかり読んだ。今の地球世界を見て感じることは国々のトップの座にいる方々の殆どが唯物論者のように映る。世界は真実から離れてしまった。今は外国は後まわしにします。このブログを見ている日本語の分かる読者、少なくとも南正人を知ってる人達には、死んだらそれで終わりと言い切る人は少ないような気がします。円盤同乗記の話しの前に霊界通信の本を読むことをお薦めします。この世での自分のやること、言うことがあの世とどう関係しているのか等知っておいた方がいい。信じる信じないは別として、次なる本を紹介します。

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著者 村田正雄
出版社 白光真宏会出版局
発売日 1971/6/20

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鍵は、必ず、どこかにある。ヒラメキだっす!” への1件のフィードバック

  1. 自分という中にある自分の核というものは、死という境にカタチをかえたりして、つながっていくものだと思ったりもします。それは前世という考え方やこの世に生まれてくる前から存在していたものなのか、それとも重力が全く違うところから働いている宇宙そのものが今とは全く別のところに存在している世界の話なのかは、現在から探ればとても難しい話でもある。それを支配しているものの中では、まるで金魚鉢のなかの話におさまることなんだろうかとか考えたりもします。生まれてくるまえから知っていることは、死ぬということは変えようがない事実なのだと思いますが、ここではそこに焦点を当てるのではなく、自分のなかに存在する生まれてくるまえと死んだあとに続く、空気のような水のような気のような有機物なのか無機物なのかわからないが存在はしている一種のモノサシに近い感覚の小さな宇宙が時を超えてあるものだと、理解することだとおもいます。生まれる前はジョン・レノンなのかとか逆に言えばオレはジョン・レノンの生まれ変わりなんだっていいたいだけなのかとかもおもったりもするわけです。そういうことではなくてワタシは自分というものは宇宙の物質が広がり続けている間の1つの光の現象に近いと考えてもいます。その物質はいくら光をなくそうとも物質は残りまた別の光となり、遡るとこの今の瞬間の光は数多からなる光の粒がなし得て存在してることなんだろうかとか思いを巡らせます。この本は読んだことないけど、霊界って宇宙の1つの姿なのかもしれないし、もしその考え方とか心の持ち用とかを普段の生活に活かすとするのならば、ワタシとアナタの一致点ってとっても尊く素晴らしいことなんだろうとおもいます。この瞬間とは永遠というカタチにすぐさま姿を変えますが、大切なのはずっと繋がっていくリズムをたまには立ち止まって耳を澄まして聴いてみるのも重要かもしれません。わからないからわかろうとするタマシイは体験を繰り返していくのだろう。死んだあとはもちろん極楽にいきたいです。そう願っている生まれてくるまえの世界からその前から続く光のなかで。

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