インポのディラン

偶然に大学の後輩だったことがわかった辻村マリナさんを拝みたおして、やっとブログ(これが何なのかも知らなかったワタシ)が開設できました。お互いのスケジュールを調整してやってもらってます。何しろ今はお金が乏しいので食事をおごる程度のことしかできないので申し訳ないのだが、イヤな顔もせず、いや、こちらこそ光栄ですなどと言ってくれる。なんて優しいんだろう。信じられないよ、今どき。みなさん、この南正人を応援してくれる人は、是非、このマリナ君にエールを送ってあげてください。僕なんかひとりで部屋にいる時などはむき出しのコンクリートの天井に向かって「神様、ありがとー!素晴らしい人を送ってくれて本当にありがとー!」と叫んでます。もうこれで鬼に金棒。書きたいこと、言いたいこと、イロイロあるがもうバンバン書いちゃいますからね。ということで今日は、昔、雑誌(新譜ジャーナル1970年5月号)に載せたことのある我が輩の奇妙な文章をUPしてもらおう。あきれちゃうよ。あの頃はいったい何を考えていたんだろうかね。

 

「南正人からの手紙」

懐妊した尼僧の白い腹の中のものに、レッドツェッペリンのコミュニケーションブレイクダウンを聴かせてやる優しさも、群れなし語り合う赤蛇の先に、引き抜かれても鼓動を止めない女の陰臓をポトリ落とす気安さも、暗い夜空をひきちぎる男根の指先が狂宴の青い月の下、花ビラにうたれながら口ずさみ作り上げた錆びついた赤い鎖の花衣を白い鳩にとりつけ深い海へにこやかに渡らせてしまう苦しさも、厚い氷の下に忘れられても、忘れられても流れ続ける青い水に深々と接吻してしまう哀しさも、名もない冬の海辺をピンク色に塗りつぶしつつ、きなくさい単調なアドリブの繰り返しに踊り狂うことの腹立たしさにも似た顔を持つ死相群衆のとり残された死骸、時間の吐き出す悪夢を目撃させてしまう淋しさも、夕陽の沈んだのも知らずに影踏み遊びを続けるインポテンツのボブ・ディランの頭上をおおう千の目を持つコウモリが桜の花ビラをことごとく貫く緑の毒矢に倒れる遠い記憶も、赤い雪の降りしきる中、花を囲みつつ性交を炎に燃やす鉄板面群のしのび泣きにもよく似た黒髪の先の乱れも、その切り口を水の中に残し上を見上げたまま枯死してしまう運命を持つバラの視線におびえる夜の口の中に、鶏の血のしたたる首をつないで作りあげたマフラアの色に酷似してやまない老女の排泄物を押し込む逆さ撫での激しさも、渡辺明子を後からやる蛇皮服の後姿にほほ微笑かける一寸法師のくすり指の異常な太さに目をさます緑の枯葉に包まれて線上をやってくる祈という師の呪文のむなしさも、ノラ猫のサカリのような激しさと優しさとを持つ男が黒色太陽眼鏡をはずす時、二重映しに焼き出された印画紙の中の女どもが終わらない日曜日のけだるさを吐き出しながら赤いじゅうたんを空に沈めるみじめさも、宇宙が狂い咲くようにうち震え強姦されるのを電柱の陰からじっと見つづける少年の目に浮かぶ流れない涙のわけも、真空の壁を突き破る無回性絶対不協音によってズタズタに引き裂かれた肉体が、それでもなお、形を成そうと飛沫した肉片をひろい集める時の眠たさも、桃の木の枝に逆さづりに夕陽を浴びる魚の視線の上をステップを踏んで宙返りするジョン・シルバーの片足の愛狂しさも、両足を縄でくくったまま春を散歩するサイモンとガーファンクルが隠せるだけ隠し続ける首をつって自殺したつくしん坊の長く伸びきった首の白さも、時という呪われたシダ類の執拗なからみつきを喰いちぎるだけの鋭い歯を持つ鳥人の虹門愛疲労の行く先を告げるまぶた裏にひそむ聖火ランナーの孤独も、明日の足音をきく前に、あさってへしのび込むために夜毎発声練習に励む緑色のそよ風エメラルド族の絶叫につられて前を開く観音様のだらしなさも、ああ、面倒くせえ、とどのつまりは新譜ジャーナルの一ペエジを埋めるための愛嬌、愛嬌。俺は自身の内に無法区を持ってさえすればそれでいいのであって厳密に、それ以外の話しには大した興味ももたない男だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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